南陵さんの「水木十五堂賞」受賞と資料の継承
昨日のものですが、正月早々嬉しいニュース。
南陵さんは「講談の速記本は芸能そのものがさげすまれていたため雲散霧消し、古書市で見かけなくなっていた。50年かけて収集した努力が報われた」と喜んでおられます。「芸に関しては多く受賞していますが、私自身の博士論文にスポットを当てていただいたことは無上の喜びです」 とも。
落語の方では米朝さんもそうだったわけですが、途絶えかけている(あるいはほとんど途絶えてしまった)伝統を復活させるのには途轍もない汗をかかねばなりませんが、それは基本的に個人の努力に負っている。これも、ある意味仕方がないところではあります。ただ、そういう個人の営みを継続可能な取組にしていくことが次に求められます。
図書館というのか、資料館というのか、文書館というのか、DA(Digital Archive)というのか知らないけれど、保存と継承を見据えた社会的な取組はとても大事です。
1960年代から、日本の公共図書館が「貸出」というツールで市民との距離を縮めてきたのは、そういう展開を想定してのことだったと思っているのですけれどね、、、
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