元MOPSの鈴木ヒロミツさんの訃報。
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20070314i312.htm?from=main3
それほど年齢の離れていない鈴木さんに合掌(-人-)。
俳優・タレントだと思ってた人も多いのだろうけれど、老生の世代としては「音楽性の高いGSの人」です。
1971年の 「月光仮面」はある種コミック・ソングですけど、1971年の時点のTVの歌謡番組で、「月光仮面」のテーマソングの歌詞をいただいたスロー・ブルースを堂々と何度も演奏してたわけです。なにしろB.B.キングの初来日が1972年で、その前の年にTVの歌謡番組で堂々とスロー・ブルースですよ。快挙というか怪挙と言うか、とにかく凄いのでありますよ。(まぁ、誰が凄いかと言うと、ボーカルをとって、ギターも弾き、アレンジもしていた星勝さんの方が功績大なのですけれど。)
1971年と言えば、憂歌団の最初の形(内田さんと木村さんのデュオ)がなんとか形になっていたとは言え、二人ともまだ高校生でまだ音楽シーンに上ってきてないし(この頃の音は老生も知りません)、ウェスト・ロード・ブルース・バンドにしても1972年の結成ですから。
とは言え、うあ、36年前か。
ところで、この「月光仮面」のテーマ、作詞は川内康範さんで、MOPSバージョンも歌詞はそのまま使ってて、曲だけ112のブルース・パターンで演奏してるわけですが、これ著作権的にはどういう処理になってたんでしょうねぇ、と今更と言うか、今だから不思議な気がして来ました。
なにしろ川内康範さんと言えば、「おふくろさん」に語りを入れたのはけしからんという同一性保持権の問題で渦中の人ですから、ちょっとひっかかってしまったわけです。
楽曲の同一性保持権というのは、歌詞は歌詞、曲は曲と別々にあるものだったのでしょうか。MOPS版「月光仮面」の場合、詞の著作者にオリジナルとは別の曲をつけて歌わせて欲しいと申し出て(有料であれ無料であれ)作詞家の許諾があれば、別の曲で唄ってよいものだったのでしょうか?この場合、作曲家の方の許諾も必要だったのでしょうか。
このあたり不勉強でわかりませんが、なんでひっかかったかと言うと、1970年代の半ばにレコード・デビューをした上田正樹&サウス・トゥ・サウスが、レコード・デビュー前のライブで「道頓堀行進曲」をラグ・タイム風の16小節のパターンにのせて歌ってたのが、著作権の関係でレコードにできなかったという話を聞いていたのを思い出して、ちょっとこだわってしまったわけです。アコースティック・セットの方で、有山さんの生ギターでキー坊が唄うバージョンです。あれはあれで好きだったのですよ。どこかに音源残ってないかな。残ってたら、なんとか著作権処理をして公表してほしいのですよ。
結局のところ、著作権の理屈がどうこうと言うより、いい音はやはり聴きたいというそれだけなのですけれどね。それがRespectということじゃないでしょうか。
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