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2006年10月22日

さぁ、小山会議

 低調スタートだった大河ドラマ 『功名が辻』、その後順調なようです。

 史実がどうこうと細かいことを言い出すと蕁麻疹が出そうになるのですが、脚本としてはよく出来たものになっているので楽しめます。 それに司馬さんの原作小説にしても、 少年期の一豊さんを守り育てた二人の子飼いの郎党の一人五藤吉兵衛が史実では一豊さんより10歳ほど年下だったりしますしね。豊臣大名 (豊臣秀吉に随身して出世した大名たち)の生き方のひとつを、 夫人にアクセントを置いて描いたフィクションとしておもしろい作品になってます。 (フィクションとしてのおもしろさと歴史ファンから見ての戸惑いという点では 「ウィキペディア」の「功名が辻」の記述が雰囲気をよく表しているようです。)

 今日は、関ヶ原前夜ということで細川ガラシャの死と、千代さんの密書送付のエピソードでした。 こうなると次回は千代さんが届けさせた石田方からの手紙を未開封のままで家康に差し出し、 さらには自分の城を差し出すと申し出て一豊さんが土佐一国を得る手柄となる小山会議です。史実として言えば、 十両の馬の話もオフィシャル記録の『一豊公紀』にも載っていない眉唾ネタだし、 この石田方文書差し出しと小山会議がほとんど唯一の彼の大手柄と言っていいわけで、 次でこの物語はほぼ終わることになります(^_^; それにしても基礎資料となる『一豊公紀』でさえエピソードの少ない一豊さん (と千代さん)のお話をふくらませた脚本家の力量には驚かされます。もちろん皮肉ではなく、 最初の方からいろいろ伏線が張ってあるのがよくわかりました。それも史実をふまえた上で史実を踏み違えてたり、 空白のところに史実にとっかりを得たエピソードを入れてふくらませていくという手法をとっているのですね。ほんとよく調べてますね、 脚本の大石静さんは。

 もっとも、細かなところでは「だっはっはぁ(^_^;」と笑い出すしかない描写もよくありますけどね。今日のところでは、 密書を届けた田中孫作を「小者」としていますが、この人は士分だった筈。それに小者であるのなら、なんで名字を持っているのか?とか、 一豊さんのところについた時にどうして座敷にあげるのだ?とか。予告編では、家康が「いざ関ヶ原へ!」と言っているけど、 この時点で関ヶ原で決戦になるなんて決まっていないのだが、とか。古い話では、十両の馬のエピソードの時には、 千代さんは安土にある山内屋敷から長浜の屋敷まで馬で往復して十両をとってくるという描写になっているのですが、 この物語では一豊さんは最初は信長の直臣で秀吉に寄騎として付属させられている立場から秀吉が長浜城主になった時に秀吉の直臣に切り替わっているという設定になっている (これ自体ちょっと無理がある解釈)ので、 それより後に出来た信長の城下町である安土に一豊さんが屋敷をもらえるってことにはならないのですよね。 こういうところは基本的な時代考証的な知識の問題ですからね、あんまり言うのも気がひけます。 時代考証としては小和田哲男さんの名前がクレジットされているんですが、これ、 その気になって脚本に手を入れだしたら脚本ずたずたになってしまいますからねぇ。

 と言いつつ、物語は大団円に向かって進んでいきます。ってことは、もう今年もそろそろ終わりなのですねぇ、やれやれ。

 

 

 

 

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