「副業」としての図書館
3月20日の毎日新聞朝刊に、 「闘論:国会図書館改革」が掲載されていました。国立国会図書館の独立法人化を提言して既に話題になっている自民党の行政改革推進本部の国会事務局改革案をめぐる論争です。
論者は、元厚生官僚で現参議院議員で自民党国会改革小委員会副主査の坂本由紀子さんと、国立国会図書館政治議会課長、細川内閣の首相秘書官を経て現在駿河台大副学長の成田憲彦さん。
一読して「ああ、なるほど」と遅まきながら気が付きました。
先の自民党行革本部案の概要が報道されたときに、図書館系ブログが一様にとまどっていたのは「副業」という言葉の異様さでした。図書館業界人の間では、国立国会図書館が「国立中央図書館+国会付属図書館」であることは自明の理ですから(国立国会図書館法にもそういう内容が書いてあるので)「副業」と言われても何のことかさっぱりわからなかったのだと思います。
上記の論争を読んでわかったというのは、「国立中央図書館」という機能そのものが「副業」だと双方が認識しているということです。論議の争点は、国会付属図書館としての調査機能の担保の仕組みと合理化との関係のみです。
坂本さんは、「納本制度」には言及していますが、それをどう活用するのかについては何もふれていません。あたかも「集めて整理して保管しておけばそれでよいのでしょう。」とおっしゃっているかのようです。また独法化に反対する成田さんも「国際子ども図書館、関西館など本来の役割を超えて肥大化している機能もある。」とこともなげに述べています。成田さんの意識の中でも「国立中央図書館」という機能はせいぜい「副」であるかのようです。たしかに、「これは<国会改革>の一環なのである」と言われればそうなのでしょうが、「国立中央図書館」をめぐる論議が別途担保されていないのなら、やはり「図書館=副業」観で論議の土台が出来ているということになります。自民党行革本部での論議結果の新聞報道の段階で「副業」という言葉が聞こえてきた段階では、限られた(しかし一定の権限を持った)人達の間の認識かと思っていたのですが、元・当事者である成田さんの認識も同じ土俵の上に立っているようです。
暗澹とせざるを得ないのは、国立国会図書館という貸出をせず、全国書誌をつくり、高度な調査機能を有し、「図書館の図書館」とされる施設を対象に上記のような意識が開陳されていることです。
「国立中央図書館」としての機能を「副業」とした視点で国会図書館改革を論じるということは、つまり図書館というもの自体を統治機構の仕組みの中で「副業」と見なすということになります。「貸出至上主義・娯楽重視の公共図書館のあり方が図書館についての世間の認識を誤らせたのだ」というアンチ・テーゼでは、この「闘論」に見る図書館認識の不在に何も訴えることができていないということになります。
たしかに、図書館業界人があまりにイノセントであったということなのでしょうが、では何を根拠にして国民一人一人の営みを支える図書館のあり方を考えていけばよいのでしょうか。
ことさらに「図書館は偉いのだ」と肩を怒らせるつもりはありません。ただただ普通に「図書館は国民生活にとって重要なインフラなのですよ。」と言えばいいだけだとは思うのですが、いちいち鬼面人を驚かすような仕掛けでものを言わねばならないのだとすれば、変な世の中だという他はありません。やはり、アメリカ合衆国のような図書館の歴史を持っていないところで、別々の機能を持っているものを無理矢理ひとつにしたのが間違いだったということなのでしょう。
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