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2005年11月15日

公貸権の経済学?

 日本文藝家協会等5団体による「図書館の今後についての共同声明」( 平成17年11月8日)については、概ね作家に対する不評が図書館系ブログで語られていました。ここに至る一連の状況については、Library & Copyrightさんの 「文芸5団体の公貸権関連声明(長くてすみません)」(11月9日付)が詳しいので勉強させて貰ったところです。

 ブログでの一連の発言を読んでいて、老生は自分がおかしいのかなと戸惑ってしまったのですが、老生は「ああ、やっと出たか。」という感興しか持たなかったのです。少なくとも「図書館問題」「複本問題」という問題意識の建て方をしてきた立場の人たちなのだからそれが自然なので今更という気持ちであり、またこういうものが出るという話は随分以前から聞かされていたような記憶があります。

 もっとも公貸権そのものについても、老生はあまり危機感が持てないでいます。少なくとも、作家さん達が経済的利益を確保するために公貸権を主張しているのなら、そしてこういう法改正をするとこうなるという現実化のシミュレーションがちゃんと出来ているなら、それは図書館にとっても不利にはならない_筈だ_という認識があるものですから。(「_筈だ_」というところが怖い所なのですが、それは後述。)キーとなるのは、公貸権料の財源がどうなって分配の仕組みがどうであれば作家にとっての実質利益になるのかということです。(公貸権料は販売補償料ではなく、必ずしも貸出や閲覧の比率に完全に応じて個々の作家に分配されるものではないことはヨーロッパなどの先行事例で明らかですが、ここでは一応「補償料として考える」という作家さん達の意識に即して考えれば、というシミュレーションの話です。)

 図書館側から見ると、公貸権料の財源が国で保障されるということがなければ(現今の状況ではまずそうはならない)、現今の状況では地方自治体は、「従来の図書費の範囲で賄いなさいね」ということにしかならないだろう、そうなると実質的に購入できるタイトル数が目減りする、大変だ! ということになるのですが、でもそうなると、作家にとっても全然潤わないことになるわけです。

 つまり、これまで図書費が1000万円だったA市立図書館では、公貸権が法で規定されたとしても図書購入に関わる費用をそれに準じて上積みしてもらえるとは思えないので、予算要求で公貸権料がどうとか言っても無視されて「とにかく図書購入に関する費用は去年と同じ1000万!」となるだろうし、別の要素になりますが毎年マイナス・シーリングが普通のご時世ですから「今年は900万ね」とあっさり言われる可能性だって充分ある。

 でもそれは、作家さん達の思惑とは違うのですね。作家さんは、例えば公貸権料が本の定価のn割(*)と設定されたとして、図書館から作家さん・出版者に流れる金が従来の1.n倍(*)になる筈と目論んでいるわけですから。ましてや、公貸権料を設定するなら、何らかの事務局をつくって、図書館での利用のサンプルをとってどの作家にどう分配するのかという算定をして実際に分配作業をするという事務が必要なわけで、その事務費だけでもバカにならないので、上記のA市立図書館のような場合には、従来ならA市立図書館が支払う1000万円がそのまま作家(出版者)に渡っていたのが、公貸権が施行されたために作家(出版者)に渡る金が「1000万マイナス公貸権処理事務局費」ということになるので、作家さんたちだって収入が目減りすることになってしまう。

(*)とりあえず、ここでは公貸権料は10割未満と想定していますので、1.n倍でよいかな、と。

 だから、作家さん達がほんとに「補償料」のために公貸権を主張しているのなら、補償料=公貸権料の財源をちゃんと確保しつつ公貸権を施行させるという活動が必要になる、というのは少し冷静になっていればわかる話です。そしてその場合は、図書館側としての目減りはない_筈_なのです。

 ただ、この解釈で怖いことが2点あります。

 一つは、一旦公貸権料の確保が上積み(例えば国庫負担とか)で設定され、図書館も作家さんの双方が納得で公貸権が施行された後になって、国家財政の都合でそれを地方自治体に振り替えるとかという話になってしかも(国が放棄するような経済状況なので)地方自治体もそれを肩代わりできない場合。これは上記のA市立図書館の状況になり、作家にとっても、図書館にとっても不幸な状況。

 もう一つは、作家さん達が経済権(補償料)の確保よりも、「とにかく図書館の活動を抑制したい」という目的で動いている場合(公貸権で「複本問題」だけを抑制するのは無理ですから)。実際、作家さんにとっての利益の出る公貸権料率って大分高くないといけないと思うのです。ところが、当たり前の話ですが、料率が高くなると事実上は購入自体の抑制機能しか持たないことになります。例えば、昨年の法改正では今年の1月から実施されるはずだったのが未だに当事者間で調整中になっているレンタル・ブック(本に関する貸与権による有料貸出)の場合、JUGEM の時代の Copy & Copyright Diary(2005.1.7.)さんから再引用すると

管理センターが示した使用料は、定価四百円のコミックの場合、二百八十円。…このうち、八十円を著者に渡し、二百円を管理手数料

 とありますが、これでは当事者間協議で妥結できなかったわけですね。

 料率を高めに設定することで実質上レンタルを抑止しようとするという意図があるのなら、それなりにわかる話ですが、それにしても管理手数料の比率の高さには驚かされます。

 「公貸権料は販売補償料ではない」という日本図書館協会のスタンスは法解釈上も当然だと言われていますが、仮に「販売補償」という立場に立って、そして仮に公貸権料の財源を国庫で確保しても、上記のような事務局費の比率の高さを考えると、公貸権を作家の実質的な利益を生み出す仕組みにするのは、どうにも大変なことであるような気がしています。ですから、国庫財源の確保が容易ではない中での公貸権の主張は、つまるところレンタル・ブックと同様に「図書館での(無料)貸出/(無料)閲覧の抑制」が主たる目的であるということになるのかもしれません。「販売補償」を求めるという前提は「販売への妨害」があるという認識ですから、販売妨害行為(=図書館での購入→閲覧・貸出)を抑制することが自らの利益になるという判断もあるわけですね。

 ということで、作家さん達が実質的な公貸権料を得るという意味での経済権を求めてらっしゃるのなら、公貸権が図書館を抑制するようなことにはならない_筈_ですが、そうじゃないのならそうじゃないわけで、作家さん達の意識と著作権法をめぐる認識のありようは実際のところどの辺りなのでしょうね。問題はそこなのでして、そういう意識で見てみると、今回の「声明」は何をどこまでどう考えているのかがよくわからないものになっていますね。あるいはひょっとすると法解釈とシミュレーションがよく認識できていないだけなのかもしれません。

 と、ここまで考えてきて、やっと図書館系ブログのみなさんがプンプンしてらっしゃるのがわかってきました。おおそうか、この「声明」は、図書館を憂えるようなことを言いながら、実は図書館の基本的な機能である資料整備の抑制が主たる目的だったのか! … って、ほんと一体どうなってんでしょうね?

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