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2005年8月12日

船橋事件へのJLA声明

 「JLAメールマガジン」 第266号(2005年8月10日)にアナウンスされていた、JLAの「船橋市西図書館蔵書廃棄事件裁判の最高裁判決にあたって(声明)」(PDF文書)がJLAのHPに掲載されていました。これは、JLAの自由委員会が案文を作成し8月4日の常務理事会で確認されたものとのこと。

 そこでは、「本判決は『[図書館の自由に関する]宣言』の基本的立場に同意するものであり、今後の図書館事業にとって重要な指針を示した」ことを確認し、併せて廃棄を判断した司書職員の行為について「図書館職員による検閲といもいうべきことであり、『宣言』と『[図書館員の倫理]綱領』を踏みにじるものと言わざるをえません。」と述べ、「このような事件によって図書館への国民の期待と新来の根底を傷つけた責任を真摯に受け止め、全国の図書館と図書館員とともに「図書館の自由に関する宣言」と「図書館員の倫理綱領」を自律的に実践することを改めて表明します。」と結んでいます。

 この件については、「図書館員の愛弟子」さんが精力的に言及しておられるので勉強させて貰っていますが、やはり、この声明が述べるように、判決レベルでの「自由宣言」の追認という事実の大きさと、図書館員による検閲という事態にどう業界が責任を示していくのか、というこの2点が焦点となるのでしょうね。

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2005年8月11日

「ネットな人」でないと参加できない集会

 夏休みに開かれる図書館業界団体の集会案内(ということは公共図書館ではないわけですが)をいくつか眺めていて、WEB上のフォーマットからしか申込みを受け付けないというところがあるのに気づき、ちょっとびっくり。

 申込みの案内には

※ 個人メールアドレスを必ずご用意下さい。
※ 学校等、ウェブセンサー(接続制限)がかけられている場合は、個人のコンピュータよりお申し込み下さい。
※ 原則、FAXおよび電話でのお申し込みはお受けできません。

 とあり、「電話でのお申し込みはご遠慮ください」なら老生が担当者でもそうしますが、FAX申込みまで封じ込めてしまうと申し込み手続き自体が不可能な人が出てくるのが避けられないように思えます。「自前でネットにアクセスできない人は参加する資格がありません。」というスタンスは、どう見ても文化の退化です。参加申込み受付事務は旅行代理店が代行しているわけですが、こうした申込み方法によって参加者が制約を受けるわけですから、主催者側が目を配るべきところなのですが、どうなっているのでしょうか。

 老生がパソコン通信を始めた頃は、それが奇異だという事で揶揄されたりもしました。それも困ったものでしたが、過渡期の事象としては理解できます。上の事例も「過渡期のこと」で済めばよいのですが、相当困ったお話だと思いました。

 そう言えば、某音楽ユニットの公式サイトで、先行予約の受付は携帯からのアクセスのみというのもありました。あれもやめてほしいなと思います。固定回線+PHS(ノートPC)でインターネット接続料を払っていて、さらに携帯でもパケット制の料金なんて払う気にはなれません。あれも「ジジイは来るな!」という示威であるのなら、たしかに奏功しているわけですが、やれやれ、いやな世の中じゃ。

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2005年8月10日

硝子の天井

 ふと気がつくとえらく間遠な投稿になってしまっています。頭が他所の方向へむいておりました。とりあえず目についた記事から。

図書館から本が姿を消す--米大学が進めるデジタル化の現状
Stefanie Olsen (CNET News.com) 2005/08/08 21:19

 技術的な面に限って言えば「デジタル図書館」というものが展開可能であるのは既に分かっています。少なくとも単純に「本」のコンテンツをデジタル化してネットを通じてアクセスできるようにする、という「デジタル図書館」の概念の前段としての「(私的に、実験的に)デジタル化する」までは。老生ですら、本を解体し両面読み込み可能なADF付きのスキャナーを使ってPDF化しているくらいですから。

 そして、そうした段階にある「デジタル図書館」がどうしても離陸できないこと……つまり著作権が「硝子の天井」になっていることも、よく知られています。ところが、上記記事は、こうした「著作権という硝子の天井」という現状の「デジタル図書館」にとっての出発点を、記事の締めの部分にいきなり持ってきて

 しかし、図書館のデジタル化に向けた最大の課題は、出版者や知的財産権保有者らが抱いている懸念だ。著作権法は長年の間に変化を遂げており、また米国以外の国々では著作権法の内容が異なる可能性もある。よって、書籍デジタル化計画の多くは、その実施にあたり、各作品の著作権の調査や権利者の許可の取得に多くの時間を費やさなくてはならない。

と結論として述べて終わっています。この記事の意図するところは一体何なのでしょうか。どうも老生には呑み込みにくい記事です。

 呑み込みにくいと言えば、工学系の大学で図書館のデジタル化が進んでいるという記述の後に添えられた次の指摘もそうです。

たとえば、シェークスピアやヘミングウェイの著書などは棚に並べておく必要があるだろう。しかし、Unixカーネルの開発に関する専門書を棚に並べておく必要性はそれほど高くない。

 なんとなく通りがいい説明であるのは認識できますが、ほんとにそうでしょうか? 「デジタル図書館」が普及する、成立するということは、ユーザー/読者が「シェークスピアをデジタル図書で読むっておかしいことですか?」といった状況になることなのだろうと思えるのですが。

 老生は理工系の人間ではないので、老生がPDF化に励んでいる図書も当然人文系・社会科学系が中心であり、一部小説も含みます。。。なにしろ置き場所に困っていますから、家人の批難の目を避けるにはデジタル化するしかないのですよ。とほほ。

 こうしたことはインターネットと似ているのかもしれません。かつてインターネットは、特定の学術研究機関などに所属する理工系人間が主として使う、(言葉は悪いですが)「おもちゃ」でした。それが人文科・社会学系の研究者達さらには一般にも広がってきてインターネットはインターネットとなったのだと思います。ということは、上記の記事の指し示すところは、「デジタル図書館」も社会的にはまだまだ「おもちゃ」の段階なのだ、ということなのでしょうか。

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