« 2005年5月29日 - 2005年6月4日 | トップページ | 2005年6月12日 - 2005年6月18日 »

2005年6月11日

やじろべえ

 大阪朝日の一面に出ていた記事です → 「公立図書館、名簿類公開制限の動き 個人情報保護に配慮」(2005年06月10日)

 JR事故で病院での入院患者の氏名公表にばらつきがあったとか、某高校での生徒同士の喧嘩にかかわって、学校側が当事者の一方から請求された相手の生徒のフルネームや住所の公開を拒否したとかいった事件(?)等の延長で取材が企画されたのでしょうか。

 記事では、図書館(地方自治体)では個人情報保護法ではなく、各自治体で定める個人情報保護条例に基づいて対処することになることを紹介し、

 図書館の図書類については…適用外とする例が多い。

 とした上で、

 福井県や愛知県には図書館の除外規定はない。愛知県は「図書館の資料はもともと公開が目的で、条例の対象とは言い難い」との解釈だが、福井県は「個人情報の公開は図書館の目的とは言えず、名簿によっては条例違反」とみる。

 と対応のばらつきを紹介し、

 自治体によって判断が分かれ、線引きが難しい中、法施行が各図書館の「規制ムード」を招いている面もありそうだ。
 全国2662施設が加盟する日本図書館協会の松岡要事務局長は「公開の制限は検閲に等しく、図書館の自殺行為にならないかを考えてほしい」と話している。

 と警告を発しています。

 「図書館の資料はもともと公開が目的で、条例の対象とは言い難い」と「個人情報の公開は図書館の目的とは言えず、名簿によっては条例違反」って、「個人情報」「名簿」を「差別図書(差別語)」に置き換えれば、同じようなパターンを繰り返してきている事柄なのだなという気持ちになってきます。
 「鈍感」であってはならないけれども、「過敏」であるのも困りものです。バランスが大事ということでは、やじろべえみたいなものでしょうか。

 JLA(日本図書館協会)のメールマガジン(4月20日付)が「個人情報保護法と図書館資料の扱い」という記事でこの問題にふれ、内閣府個人情報保護推進室に照会した回答要旨として以下のように紹介していましたね。

[個人情報保護]法の対象は、民間団体が収集保存している個人情報であって、図書館などが 所蔵し提供している資料は対象とならない。図書館が個人情報を含む資料を 利用者に提供することは、書店が本を販売すること同じ行為であり、一般的 にそのこと自体、この法律は直接対象としない。その資料に問題があるとす れば、それを出版した者がまず問われることになる。一部新聞記事に、図書館が問題のある名簿を提供することが処罰の対象となるような記事があったが、これら前提条件を欠いたものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年6月10日

機智・既知・危地

 6月6日にtorovさんからコメントがありました(on こらむで『ちびくろさんぼ』)。いつもありがとうございます。せっかく興味深いご指摘をいただいていましたのに、遅い帰宅が続いて失礼していました。申し訳ありません。
 コメント・ツリーをあまり深くするのも如何なものかと思い、ルート発言(?)の形でコメントさせていただきます。(こうなるとBBSの方が何かと便利で、ブログというのは不便なものです。)

 キーワードのひとつは機智(ウィット)でしょうか。

差別や侮辱の大半は何らかの形で「許容不足」か「教養不足」の状態に陥っている場合に起こりやすい受け取り手の「貧しい」反応であることが多いわけなのだから

 大変刺激的且興味深いご指摘で、たしかにその通りだと思います。
 この場合、「受け取り手」というのはダブル・ミーニングですよね。
 ひとつは、ある表現を「これは差別だ」と受け取る人。もうひとつは、「それは差別だ」という指摘を受け(取る)人。この両側のそれぞれの度合いでの「許容不足」あるいは「教養不足」が、差別告発事例が論議としてはすれ違いに終わりがちな事情の底にあるように思います。

 例えば、1972年のイギリスでの論議(「タイムズ」紙上論争)では、高名な児童書の評論家であるブライアン・オルダーソンさんが、『ちびくろさんぼ』への告発を受けて、これまで『ちびくろさんぼ』を高く評価してきた文芸評論家のような「立派な人々が『人種差別主義的な戯画化』に無神経であり得るのだろうか」と結論づけているわけですが、差別という現象がある社会の構造的な問題・人間の関係性の問題であって、個人個人の教養・知識の量の差によるものではないという認識(基礎教養)さえあれば、こういう無邪気なことはおっしゃらなかったでしょう。これは典型的な「許容不足」「教養不足」の例かと思います。
 また、同じ紙上論争では、<『ちびくろさんぼ』告発に賛成だ、他の作品についてもどんどん告発して絶版にすべきだ>として<自分の考えではおそらく1984年までにはこの作業は終わるはずだ。>という趣旨を述べる短い投書も載っています。これもG.オーウェルの『1984年』を下敷きにした、逆説的な告発反対論であるのは明らかですが、老生には、差別の「社会性」にあまりに無頓着な教養のひけらかしにしか見えません。これはたしかに、イギリス知識人流の「ウィットに富んだ」発言なのでしょうが、老生には、こういう機智は大変うら悲しく思えるのです。
 どちらの側にもある「許容不足」を前に、図書館は何ができるのかな、ということかと思います。

 もうひとつのキーワードは「ドビアスさんの評価」でしょうか。

ぱっと観た限りでは単なるステレオタイプな土人絵をステレオタイプなキャラに描けるだけの絵描きであって、ただこの絵描きと同時代の設定に変更(偏向?)して描いた分だけなおタチが悪い、といったところなんでしょうかね。

 そんな感じが老生もしています。「横のものを縦に切り貼りした岩波版」ということでちょっとドビアスさんに同情したりもしたのですが、ドビアスさんの他の絵本も入手してみた感想としては torovさんのご指摘に同感です。どうもドビアスさんは、彼の時代のステレオタイプに無頓着だった人(マジョリティの大抵が普通そうなのですが)のように思えてなりません。

 ドビアスさんの評価をめぐっては、また稿を改めて言及します。(時期は未定(^_^;)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2005年5月29日 - 2005年6月4日 | トップページ | 2005年6月12日 - 2005年6月18日 »