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2005年5月18日

ジョン・メイオール

 先日入手のジョン・メイオールの70歳記念ライブを大きめのヴォリュームで聞きながら風呂敷残業。もちろんヘッドフォン使用。風呂につかるより疲れがとれます。

 「ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズ featuring エリック・クラプトン、ミック・テイラー\70th Birthday Concert」(VACM-1238)

 これは2003年のライブなので、ジョン・メイオールは今年72歳。古稀記念ライブもお願いしたいのであります。。。数えならほんとは去年ですが。。。なんだか、この人たちは米寿記念ライブくらいやってしまいそうな気がしますね。ご同慶の至り。

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2005年5月17日

人と資料をむすびつける所

 川崎村立図書館のサーバ・ダウン時のサービス内容について、愚智提衡而立治之至也のG.C.W.氏(「さん」付けはしない方がよいのかと判断しました)からTBとして<公共図書館の「本来の業務」とは>をいただいていました。

 新聞記事での報道については、G.C.W.氏と老生の読み方・解釈の違いがあるということ自体が興味深いところですが、老生には氏の見解を批判する意図はないことをご理解いただければありがたく存じます。もっとも「異なり」があるという事実…老生からすれば、自分はなぜG.C.W.氏がされるような解釈をしないのだろうか、ということ…には興味がありますので、いずれ稿を改めて考えてみたいと思っています。

 「公共図書館の本来業務」ということについては、老生は「図書館は、人と資料を結びつけるところ、その働き」だと表現しています。明日(もう今日ですが)、近くの小学3年生が図書館見学にやってきますが、図書館見学にやってくる小学生や体験学習にやってくる中学生にはいつもその様に伝えています。

 図書館見学の時、最初、子ども達に「図書館は何をするところかな?」と聞くと、大抵は口々に「本を借りるところ」と答えます。それについては否定も肯定もせず、「図書館はね、、、」と伝えるのですね。すると、これは小学校3年生にはちょっと抽象的過ぎる表現なので、「え、どういうこと?」という表情になりますから、彼らの気がそれない内にレファレンスや選書や相互貸借やといったことを実例を挙げて噛み砕きながら伝えて、その結果として「君たちは本を借りているのだよ」ということを言っています。それから「図書館は独りじゃない。独りじゃほとんど何もできない。」とも言いますね。これは模造紙に書いた大きな市内の地図(図書館のあるところや、BMのステーションに印)を広げて説明します。もちろん、市外の図書館からも借りることができるんだよ、とも。

 これをもう少しだけ大人向きの言葉にすれば、図書館の基本的機能は「資料提供」だということかと思います。要望に応じて図書館が提供した資料を、借りて帰るのか、それとも館内で閲覧したりコピーをとるのかということは、基本的に利用者側で都合のよいように判断することですよね。

 利用者の要望は、具体的なタイトル指定であれば予約として処理しますし、特定主題についての要望ならレファレンスとして受け付け、それが結果として貸出という現象になったり館内閲覧という現象になったりするわけですね。もちろん、具体的なタイトル指定であっても、それが文学作品が言及した実在しない作家の実在しない作品だったりするとレファレンス的な回答になってしまうなど、その区別をするのは本来無理があります。

 そしてその前提の上に立って、個々の図書館のポリシーとして「貸出」を標榜したり「レファレンス」を標榜したりするわけでしょう。どちらにしても、「貸出」を標榜したから「レファレンス」をしないとか、「レファレンス」を標榜したから「貸出」をしないとかいうことではないでしょう。

 ということで、今日もまた、小学生にそういうお話しをしてきます。

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2005年5月16日

クリーム復活ライブ

 なかなか詳報がネットに出てこないのでありますが、さる5月3・4・6・7日の4日間限定で、クリームの復活ライブがありました。メンバー3人共還暦を超えてのステージ、しかもドラマーのジンジャー・ベイカーに至ってはリウマチを抱えての熱演とのこと。(ほんとに大丈夫だったのか?)

 年内にはライブCD/DVDが出る予定、と某FM曲DJが語っておりました。今から「買う。絶対買う。」と息巻いている親爺がここに一人。

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補・図書館のサーバがダウンして

 川崎村立図書館のサーバ・ダウン記事について、何度もすみません。

既に紹介した新聞記事をよくよく見直してみると、写真に写っている図書館の掲示と記事テキストに紹介されている文章がわずかに違っているのに気付きました。

 記事テキストでは以下でしたが、

 図書館入り口正面には「図書館利用者の皆様へ」との張り紙で、「図書館システムの故障で、館内で資料をご覧いただくのみとさせていただきます。サービスはすべてお受けできません。」(強調は引用者によります)

 記事の写真(斜めからなので見にくいのですが)をみると、「サービスはすべてお受けできません」(やっぱり、文法的に変ですね(^_^;)の前に、記事テキストにない文字列が少しあります。直前のものは「リクエスト等の」でしょうか。その前にも数文字判読不明の文字列があるのですが、流れを考えて補うと以下が掲示文の正確な引用になるかと思われます。

「図書館システムの故障で、館内で資料をご覧いただくのみとさせていただきます。【貸出・返却・リクエスト等の】サービスはすべてお受けできません。」(【】内が新聞記事テキストで欠落。ただし補いの文字は推測を含みます)

 「すべて」と一言入れたことで誤解されやすい文章にはなっていますが、記事テキストの文章とはかなりニュアンスが違って、受けられないサービスの内容が限定されていたのですね。

 現場感覚としては、資料案内・レファレンスもしないでいたとは信じられないのですよ、やはり。

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続・図書館のサーバがダウンして

 岩手県川崎村立図書館のサーバ・ダウンの一件について、もうひとつ。

 コンピュータが長期間使えないので貸出・返却・リクエストができません(制約されます)というのは、わかりますが、新聞記事を見ても隔靴掻痒の思いがいろいろあります。

 例えば、リクエストにしても、OPAC入力(お客様が自ら機械入力する)はたしかに無理でしょうけれど、紙の予約票の受付くらいは出来たのでしょう?といったような、現場の図書館員の感覚レベルでは「当然」と思えることが省略されているといったようなことですね。新聞記事という性格上、実務レベルのことを細々と書いていないのは当然ですが、同業者としては、我が身の問題として想定した危機管理の課題として、そういう細々としたところをどう凌いでいたのかが一番気にかかるのです。

 そうした隔靴掻痒のひとつが、4月29日付記事にあった次の記述でした。

 図書館入り口正面には「図書館利用者の皆様へ」との張り紙で、「図書館システムの故障で、館内で資料をご覧いただくのみとさせていただきます。サービスはすべてお受けできません。」(以下略)

 同じ記事に少なくとも「閲覧」はできるとあったので、文字通り「すべての図書館サービス」が提供不能ということではありません。図書館側が「サービスはすべてお受けできません。」と書いた意図がわかりかねていました。(この文章は文法的にもおかしいような気はするのですが、それはさておき。)

 紙の予約票の受付が可能なのと同様、「○○関係の本はどこ?」といった質問には図書館の分類の知識が前提なので図書館員はコンピュータとは無関係に対応しているわけですし、あるいはもっとテーマを絞った問い合わせについては、資料そのものについての知識で対応しています。。。例えば、「『インフォームド・コンセント』について調べてるのだが、、、」と相談を受けた図書館員がコンピュータがなければお手上げなんてことは普通ないわけです。

 図書館のコンピュータが所蔵資料の全文DBではない現段階では、コンピュータがなくても(あればより助かることがあるのは事実ですが)資料案内・レファレンスは可能なのですし、実際、老生を含めた図書館員はそうしているのですよね。。。と言いいますか、貸出・返却や所蔵目録をコンピュータで処理するよりずっと以前から、資料案内やレファレンスはやってたのですから(^_^;

 その曖昧さを前提に判断した指摘をされているのが、<愚智提衡而立治之至也>さんの「図書館システムがダウンしたとき」とそれを受けた<DORAの図書館日報>さんの「不安を感じる」でした。

 このお二方は、記事にある図書館側の掲示文書を文字通りに受け止めてらっしゃるわけです。老生は「予約票の受付などと同様、レファレンスも当然しているだろうが、具体的なところを知りたいな。」と思って見ています。

 ほんとに他人事ではないので、詳報を知りたいですね。

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図書館のサーバがダウンして

 ゴールデンウィーク前に岩手県川崎村立図書館のサーバがダウンして、当面の貸出・返却・検索ができなくなったという記事(岩手日日ニュース4月29日)がありましたが、5月になって復旧とのこと(岩手日日ニュース5月11日)でほっと一息。

 それにしても、復旧に2週間ほどもかかるなんてちょっと考えられない凄いトラブルです。

 ところで、ちょっと不思議と言うか疑問なのですが、貸出・返却については、ハンディ・ターミナルとか、PC単体にデータをためるなどの方法で当面は凌ぐのが普通だと思えるのですが、そういった記述が老生の見ることの出来た記事にはありませんでした。ほんとに貸出・返却が全面ストップしていたのでしょうか? 昔話になりますが、某町立図書館のオープン日にご縁があって見学(応援)に行った時のこと、オープン初日でしたが見事に過負荷に耐えられずにサーバがダウンしたことがあり、皆で貸出データを手書きメモにとったのを思い出します。自分の勤務先でも、システム・ダウンは何度か経験しています。最初は手書きメモ、後にはハンディ・ターミナルでの対応をしています。最近は流石にシステム・ダウンはありません。

 上記の記事では、川崎村立図書館の貸出冊数(1日平均)は600冊余りとか。それなら、手書きメモでも対応できる数だなと一瞬は思いました。が、やはり貸出記録の手書きメモなどというのは、緊急時の短時間対応だと割り切っているから出来た(…でも半日続けたことも…泣)ので、たしかに長期(複数日)にわたってくるなら話は別です。

 復旧までの日数がかかりすぎているのと併せてなんだかよくわからない、腑に落ちないケースですね。危機管理の問題としてどうだったのでしょう、という意味で他人事ではないです。詳報を待ちたいと思います。

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『ちびくろさんぼ』は非購入

このブログを見てくれている知人から聞かれたのです。

「葦岸堂さんの勤務先の図書館では、瑞雲舎の『ちびくろさんぼ』を買ったのですか?」と。

買ってません。

理由は単純。岩波版をまだ持っているから、です。

それにしても、物理的によく保ってますよね。自分とこながら感心してます。

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2005年5月15日

公共図書館と『ちびくろさんぼ』(再)

 『ちびくろさんぼ』の版に関する話で足踏みをしてしまってました。図書館とくに公共図書館での扱いについても触れておかなくてはと「カテゴリー」にわざわざ「知的自由」(「図書館の自由」)と入れておいたのに、まだ触れられてませんでしたね。

 今回の復刻のニュースを知った時、1999年の径書房によるオリジナルとオリジナル翻訳版の発行の時の状況からして、今回も強い絶版要求運動に出版社や世間がなびくことも、図書館での扱いが話題になることもないだろうなと知人とは話してました。
 ただ危惧があるのは、以前の状況下で『ちびくろさんぼ』を閲覧制限にしていた図書館で、その後の論議をしていなかった場合に「お役所的な整合性」の立場から今回も「閲覧制限」という扱いになる事例は出てくるだろうな、というところです。

 ブログで珍しくこの問題にふれているのは「愚智提衡而立治之至也」さんの3月14日の記事です。ここで次のように述べてらっしゃるのはまことにその通りだと思います。

本質的にこの手の問題は読者が考えるべきもので,公共図書館がその利用に対して何らかの意見なり制限なりを付け加えるべきものではない

 とは言え、昨今こうした見識を述べ、述べるだけでなく具体化できる立場の人(司書職員)が、どんどん臨時職員に置き換わり、そして図書館業務が委託されていっているという状況下で、それを具体化する仕組みが骨粗鬆症状態になっていっており、今後もそれが進むように思います。

 それでも根幹部分に司書がいれば大丈夫なのではないか、という意見もありますが、実際にはカウンター業務などを譲渡させられている職場では司書の発言権や影響力も衰えているとも言えますしね。業務委託の項目としてもそうした「図書館の自由」「知的自由」にかかわる政策的判断が入ることもありえないでしょうから、委託先にどれほどしっかりした司書がいても権限外のことになります。また、こうした問題について『ピノキオ』問題や、『名古屋市史』問題等への取組を通じて「検討の三原則」という大きな一里塚を築き育ててきていた名古屋市立図書館の自由委員会でさえ、昨年の「週刊文春」出版差止問題ではにわかに判断がつかず、司書資格を持っていない行政職の中央館長の一喝でようやく公開原則を守れたという事実が示すように、司書のパワーも低下している中では尚更です。

 ところで、数年前になりますが、全国的な図書館業界の研修の場で、関東地方のある大都市の図書館を司書課長で退職した方が講師となり「『図書館の自由』などというのは、司書の視野の狭さのあらわれだ」とおっしゃっているのを聞いて驚いたことがあります。その方によれば「司書はもっと行政職の視点を知らねばならない。行政として人権問題への対応が大事であり、現に差別に苦しんでいる人がいる中で、『図書館の自由』などを言うのは視野が狭い証拠だ。」ということでした。

 司書が行政的な観点を保つことが大事だというのはまったく賛成ですが、その後の「図書館の自由」に関するコメントは、関西で子どもの頃から部落差別や韓国・朝鮮人差別が身近にある中で育ってきた老生のような者の視線で見れば、そのおっしゃりようが関西の人間が20~30年前に論議していたような内容だったので「またあそこまで戻るのか? やっとここまで進んできたのに」といささか暗澹としたことがあります。元々「行政の観点」とは何の関係もない(別に矛盾するわけでもない)「図書館の自由」を司書職の管理職が持ち出してそのような発言をするというところに、その大都市の司書のパワーの低下を知らされたことでした。

 「図書館の自由」「知的自由」というのは、言論のレベルではほんとにシンプルなことなのですけれどもね。

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