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2005年7月 5日

メキシコ版さんぼ騒動?

 ニューヨーク在住の堂本かおるさんの「ニューヨーク・ハーレム・ジャーナル」で、「アメリカの基準でいえば、ほとんど『チビクロサンボ』級」のキャラクターがメキシコで切手になって発売されて論議になっているとの報告が。

 スタンリー・エルキンズのアメリカの黒人奴隷制研究なども、黒人差別はどの国にもあるとは言え、アメリカ合衆国のそれが他の国とは結構違っている(アメリカ合衆国のは排除がより徹底している)のはどうしてか、というモチベーションで書かれているとのことですが、より定型化されてマスコミを通じて流布された「サンボ・イメージ」というものについての認識の有無(あるいは認識の在り方の違い)が、こうしたキャラクターの印象を大きく分けるということなのかもしれません。

 たしかにアメリカ合衆国の場合、自らの文化の産み出した「サンボ・イメージ」に即して(引き寄せて)バナーマンさんの『ちびくろさんぼ』を書き換えた海賊版を多様に量産し、結果としてその後遺症に苦しんでいるとも見えます。その意味では、『ちびくろさんぼ』問題というのは、アメリカ(文化)の問題なのだとも言えるのかもしれません。(もちろん、イギリスにだって『ちびくろさんぼ』反対論はありますけれど、「サンボ・イメージ」と『ちびくろさんぼ』の関わりに即して言えば、ニュアンスが大分違ってきているように思えます。)

 とは言え、それはそれとして、その今では見捨てられているアメリカ文化の横道の一作を自らのデファクト・スタンダードとした日本の『ちびくろさんぼ』観も、文化的な課題としてはなかなか異彩をはなっていると言えます。ず~っと原作(オリジナル)を見ずに、それを高く評価してきたというのは、文化の評価の問題としては、普通はありえない話です。

 イギリスでは、『ちびくろさんぼ』の海賊版はあまり出版されず、アメリカではオリジナル(に近い)版もずっとあったが、一方では海賊版が猖獗を極め、日本では海賊版しかなかった(1999年までは)という事実は、興味深いことです。日本での『ちびくろさんぼ』状況は、文学作品の評価という観点から見た場合、とてもおかしなことになっていると思います。褒めるにせよ、けなすにせよ、該当の作品を読まずに文学作品を評価することなどできるはずがないのですから。

 個々の人の「懐かしさ」は、それ自体聖域だと思いますし、とやかく言うつもりはありませんが、『ちびくろさんぼ』の評価をめぐる問題は、文化の在り方の問題としては、極めてけったいな事例であるとは言えるのだと思います。

 堂本さんも、「メキシコの事情というか、社会通念について、メキシコ在住の友人に聞いてみようと思う。メキシコも人種の混じった国だけに、この件は不思議に感じるので。」と述べておられますが、メキシコの状況報告に期待しています。そこからは、こうしたアメリカ固有の課題としての「ブラック・ステレオタイプ」「サンボ・イメージ」の問題と共に、汎用的な面での多文化状況の中での差別意識の自覚化の問題として、有益な内容が読み取れるような気がしています。

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