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2005年6月10日

機智・既知・危地

 6月6日にtorovさんからコメントがありました(on こらむで『ちびくろさんぼ』)。いつもありがとうございます。せっかく興味深いご指摘をいただいていましたのに、遅い帰宅が続いて失礼していました。申し訳ありません。
 コメント・ツリーをあまり深くするのも如何なものかと思い、ルート発言(?)の形でコメントさせていただきます。(こうなるとBBSの方が何かと便利で、ブログというのは不便なものです。)

 キーワードのひとつは機智(ウィット)でしょうか。

差別や侮辱の大半は何らかの形で「許容不足」か「教養不足」の状態に陥っている場合に起こりやすい受け取り手の「貧しい」反応であることが多いわけなのだから

 大変刺激的且興味深いご指摘で、たしかにその通りだと思います。
 この場合、「受け取り手」というのはダブル・ミーニングですよね。
 ひとつは、ある表現を「これは差別だ」と受け取る人。もうひとつは、「それは差別だ」という指摘を受け(取る)人。この両側のそれぞれの度合いでの「許容不足」あるいは「教養不足」が、差別告発事例が論議としてはすれ違いに終わりがちな事情の底にあるように思います。

 例えば、1972年のイギリスでの論議(「タイムズ」紙上論争)では、高名な児童書の評論家であるブライアン・オルダーソンさんが、『ちびくろさんぼ』への告発を受けて、これまで『ちびくろさんぼ』を高く評価してきた文芸評論家のような「立派な人々が『人種差別主義的な戯画化』に無神経であり得るのだろうか」と結論づけているわけですが、差別という現象がある社会の構造的な問題・人間の関係性の問題であって、個人個人の教養・知識の量の差によるものではないという認識(基礎教養)さえあれば、こういう無邪気なことはおっしゃらなかったでしょう。これは典型的な「許容不足」「教養不足」の例かと思います。
 また、同じ紙上論争では、<『ちびくろさんぼ』告発に賛成だ、他の作品についてもどんどん告発して絶版にすべきだ>として<自分の考えではおそらく1984年までにはこの作業は終わるはずだ。>という趣旨を述べる短い投書も載っています。これもG.オーウェルの『1984年』を下敷きにした、逆説的な告発反対論であるのは明らかですが、老生には、差別の「社会性」にあまりに無頓着な教養のひけらかしにしか見えません。これはたしかに、イギリス知識人流の「ウィットに富んだ」発言なのでしょうが、老生には、こういう機智は大変うら悲しく思えるのです。
 どちらの側にもある「許容不足」を前に、図書館は何ができるのかな、ということかと思います。

 もうひとつのキーワードは「ドビアスさんの評価」でしょうか。

ぱっと観た限りでは単なるステレオタイプな土人絵をステレオタイプなキャラに描けるだけの絵描きであって、ただこの絵描きと同時代の設定に変更(偏向?)して描いた分だけなおタチが悪い、といったところなんでしょうかね。

 そんな感じが老生もしています。「横のものを縦に切り貼りした岩波版」ということでちょっとドビアスさんに同情したりもしたのですが、ドビアスさんの他の絵本も入手してみた感想としては torovさんのご指摘に同感です。どうもドビアスさんは、彼の時代のステレオタイプに無頓着だった人(マジョリティの大抵が普通そうなのですが)のように思えてなりません。

 ドビアスさんの評価をめぐっては、また稿を改めて言及します。(時期は未定(^_^;)

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コメント

どうも、折角ブログのトップで扱って頂いたのに
ちょっと嬉しすぎて返事が遅れてしまったtorovです。
 なんかちょうど「さよならサンボ」を読み切った上で
「書けたなー」と自分でも思っていたところだったので、
この反応はとても嬉しかったです。
 ではまたその時にまでテンションを上げつつアシストを
続けると、こんな感じになるかな。

>キーワードのひとつは機智(ウィット)でしょうか。
まあもう少しくだけて厭らしく言うと、「クリスマス・キャロル」
以降の資本主義の曲がり角をくぐり抜けた勤勉な人達が
それまでの教養や知識をベースにして、
「ねえ、(これも)わかるでしょう」とそれぞれ言い続けている
のが機智(ウィット)の本質だったりするのだけど。
 まあエリザベス・ヘイはスコットランド人と同じように
勤勉でさまざまな教養や知識の蓄積がありかつ戯画化
(カリカチュア)も理解している日本人に対して
「ねえ、これくらい、わかるでしょう」
と主張したかったのかもしれませんが。
 ましてや、「アル中がパブを素通りできない以上に、私は本屋を
素通りするのがむかずかしい」と良く言ってたヘレン・バナマンな
わけですし。「ちびくろサンボ」はそうした本好きが創作した
ナンセンス、といふよりもハイセンスな感じの作品で本来は
あるわけですし。
(まあエリザベス・ヘイが稲垣潤一の「「クリスマス・キャロル」
の頃には」を知っていたかどうかは知らずなところでしょうけど、
あの時期に秋元康が置きに行ったものは多分日本もあの時期に
資本主義の曲がり角をくぐり抜けた、観るべきもの、なので
しょうなあ)
>こういう機智は大変うら悲しく思えるのです。
はそういったことが踏まえられているからかなあ、とも
思えるのですが。

投稿: torov | 2005年6月15日 02:25

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