人と資料をむすびつける所
川崎村立図書館のサーバ・ダウン時のサービス内容について、愚智提衡而立治之至也のG.C.W.氏(「さん」付けはしない方がよいのかと判断しました)からTBとして<公共図書館の「本来の業務」とは>をいただいていました。
新聞記事での報道については、G.C.W.氏と老生の読み方・解釈の違いがあるということ自体が興味深いところですが、老生には氏の見解を批判する意図はないことをご理解いただければありがたく存じます。もっとも「異なり」があるという事実…老生からすれば、自分はなぜG.C.W.氏がされるような解釈をしないのだろうか、ということ…には興味がありますので、いずれ稿を改めて考えてみたいと思っています。
「公共図書館の本来業務」ということについては、老生は「図書館は、人と資料を結びつけるところ、その働き」だと表現しています。明日(もう今日ですが)、近くの小学3年生が図書館見学にやってきますが、図書館見学にやってくる小学生や体験学習にやってくる中学生にはいつもその様に伝えています。
図書館見学の時、最初、子ども達に「図書館は何をするところかな?」と聞くと、大抵は口々に「本を借りるところ」と答えます。それについては否定も肯定もせず、「図書館はね、、、」と伝えるのですね。すると、これは小学校3年生にはちょっと抽象的過ぎる表現なので、「え、どういうこと?」という表情になりますから、彼らの気がそれない内にレファレンスや選書や相互貸借やといったことを実例を挙げて噛み砕きながら伝えて、その結果として「君たちは本を借りているのだよ」ということを言っています。それから「図書館は独りじゃない。独りじゃほとんど何もできない。」とも言いますね。これは模造紙に書いた大きな市内の地図(図書館のあるところや、BMのステーションに印)を広げて説明します。もちろん、市外の図書館からも借りることができるんだよ、とも。
これをもう少しだけ大人向きの言葉にすれば、図書館の基本的機能は「資料提供」だということかと思います。要望に応じて図書館が提供した資料を、借りて帰るのか、それとも館内で閲覧したりコピーをとるのかということは、基本的に利用者側で都合のよいように判断することですよね。
利用者の要望は、具体的なタイトル指定であれば予約として処理しますし、特定主題についての要望ならレファレンスとして受け付け、それが結果として貸出という現象になったり館内閲覧という現象になったりするわけですね。もちろん、具体的なタイトル指定であっても、それが文学作品が言及した実在しない作家の実在しない作品だったりするとレファレンス的な回答になってしまうなど、その区別をするのは本来無理があります。
そしてその前提の上に立って、個々の図書館のポリシーとして「貸出」を標榜したり「レファレンス」を標榜したりするわけでしょう。どちらにしても、「貸出」を標榜したから「レファレンス」をしないとか、「レファレンス」を標榜したから「貸出」をしないとかいうことではないでしょう。
ということで、今日もまた、小学生にそういうお話しをしてきます。
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