無料ブログはココログ

« 暗黙知としての図書館業務 | トップページ | 井上さんのコラムに »

2005年5月25日

こらむで『ちびくろさんぼ』

 「図書館雑誌」今月号(2005年5月号)の「こらむ・図書館の自由」が瑞雲舎版『ちびくろさんぼ』の出版(復刻)に触れていました。(オンラインではここで読むことができます)

 執筆者の井上靖代さんは、1988年の岩波版などの絶版の後、図書館の現場で『ちびくろさんぼ』/『ちびくろサンボ』はどのように検証されてきたのかと問いかけ、次のようにまとめています。

黒人差別本だったと単純に言い切れるような事例ではない。図書館は何のために,誰のために存在し,本を提供しているのかを問われた本なのである。終った事例ではなく,これから図書館に関わっていこうとする若い世代や子どもへ本を手渡そうとしているすべての人びとが再考すべき「ちびくろさんぼ」復刊である。(強調は引用者による)

 たしかに、 「黒人差別本だった」と言うのと同様「黒人差別本ではなかった」と言っても、それだけでは何も始まらないし何も終わらない問題なのだと老生も思います。正直なところを言えば、この問題は「自分的には既に終わっている」と思ってもいたのですが、もう少し自分のためのメモをとってみようと思い始めています。

« 暗黙知としての図書館業務 | トップページ | 井上さんのコラムに »

コメント

たびたびどうも。少し時間が空きましたが、
『さよならサンボ』を読了したtorovでございます。
面白かったですよ、「19世紀末の大英帝国の植民地インドで
ペスト研究に尽力した夫を支え、子育てをし、かつ当時の女性
としては稀な創作、といふ仕事もしたスコットランド人女性の
記録」は。あと、「ちびくろサンボ」が1899年、そして
ビアトリクス・ポターの「ピーター・ラビット」が1901年で、
そして同じように版権問題のトラブルで、(特に)アメリカで
ひどい海賊版の被害に遭った、といふ認識は覚えておいても
損はないと思った。

 あと「サンボ」の両親のマンボとジャンボは実は語感から
採られたらしい名前でもとは「マンゴ・パーク探検記」に出てくる
「マンボジャンボ」といふ韻を踏んだ擬音のような固有名詞から
来ている、といふ説は面白かったな(まあこの言葉がアフリカから
英語に入ってくることで、「ハリポタ」よろしくまじないのような
言葉←むしろ用法としてはケストナーの「ヒクスポクス・フィジプス」
っぽい感じかな、の語感を持って入ってきたものをたまたま両親の
名前に使うウィット(機智)があったようなのだけど)。

 それからこの本の著者のエリザベス・ヘイが来日していて、かつ
日本のまんがにある一定の理解があり、日本人が「戯画化を好む」
ことを非常に好意的に捉えている。
(それはおそらくよく大月隆寛が「マンガ夜話」で言うところの
「リテラシーの高さ」にも近いと思う。逆に差別や侮辱の大半は
何らかの形で「許容不足」か「教養不足」の状態に陥っている
場合に起こりやすい受け取り手の「貧しい」反応であることが
多いわけなのだから、それに正しく対応すればいいだけの話
だったはずなのにねえ。ちなみにエリザベス・ヘイはバナマンの
絵もまた戯画化されたものであり、それが彼女の画法だった、
と述べており、またその後にはこうも書いている↓)

「誇張は話をわかり易くするし、メッセージがより明確に
伝わってくる。これは漫画の魅力であり、ことに日本では地下鉄
の中で大人たちが漫画に読みふけっている理由である。懸命に
稼いだ金を漫画にはたくよう、誰かに強制されているわけでは
ない。彼ら自身が喜んで買うのである。なぜなら漫画は読み易く、
わかり易いからだ。」

素養や機智に富んだ戯画(カリカチュア)化されたキャラや物語が
アメリカに向かうとただの貧しい「ステレオタイプ!」となって
しまうのは、やっぱり手塚治虫もメビウスも、バナマンも生むこと
が出来なかった、(1950年代のパージの影響が強すぎて)
「アメコミ」といふ閉じたジャンルしか持たないまんがの後進国
アメリカならではの「らしい」現象なんだなあとつくづく思う。

>ドビアスという人は、駆け出し時代の絵描きさんが目指す
>ような人だったのでしょうか?
ただ、ネットでの評判を観ると、特に岩波版の信奉者サイドでは
ドビアス自身の描画能力を過剰に買っている人が多いような。
でも、ぱっと観た限りでは単なるステレオタイプな土人絵を
ステレオタイプなキャラに描けるだけの絵描きであって、
ただこの絵描きと同時代の設定に変更(偏向?)して描いた
分だけなおタチが悪い、といったところなんでしょうかね。

あ、失礼。
飯沢匡さんの発言は1965年でしたね。
ますます、どっぷり(^_^;

torovさん

 葦岸堂です。
 どうもお見それいたしました。
 70年代の論議までもフォロウされているなら、たしかに足抜けはもう無理ですね、ご愁傷様です(^_^;
 それどころか、ほう、トキワ荘物語の世界まで遡るわけですね、いやはや奥が深い。
 老生は、アートな世界はまったく不案内なのですが、ドビアスという人は、駆け出し時代の絵描きさんが目指すような人だったのでしょうか?
 老生はてっきり、岩波の安易な編集方針による、若手の絵描きからすると「おいしい仕事」というだけのことだったと思いこんでいました。要チェックですね。
 ご指摘ありがとうございます。


またもやどうも、torovでございます。
岩波版でバンナーマンの「The Story of Sambo and the Twins」を
併録した第二話を(先日亡くなったばかりの)岡部冬彦氏が描いて
いたお話は「幻想資料館」さんがとうやら取り上げているようで。
サンボ絵本色々まとめて紹介
http://www.fantasy.fromc.com/new/archives/2005/05/post_53.html

>葦岸堂さん
>岡部さんに模倣させてたんです、岩波は。作品のオリジナリティー
>という考えはなかったようですね。
むしろこの1952年、といふタイミングは藤子不二雄Aの
「まんが道」の時代にわりと符合するところを見るとむべなるかな、
といふ感じ。オリジナル云々よりも海外からやってくる作品の
素晴らしさがまぶしくて、さまざまな映画を吸収した人達が
それを基にいろんなまんがを書き始めたりする時代ですから、
「それしかなかった」ものに後付けで無茶な注文つける人の
(主にタイミングの)方がそもそもナンセンスなおバカさん、
のようにも見えるのですけれどもね。

>結構深いですよ、この「ヲタ道」。今からでも遅くないですから、
>足を抜くことも考えてくださいね(^_^;
いやあ、もうずぶずぶですから。いまさら「ジタバタ」しても
仕方ないですからね。まあヲタにはヲタなりの「ヲタの意趣返し」、
といふものもあるようですから、水玉さんあたりにどうか
頑張って貰いたい、といふ気持ちもあったりするわけで。

 そんなわけで水玉蛍之丞嬢の補足。むしろニュースサイトの方では
水玉さんの父親(或いは喪主で記載されていた長男で軍事評論家の
岡部いさくの父親)といふ表現の方が多かったような。
 水玉さんの知名度の多くは1990年代から一時期存在していた
「アニメージュ徳間サロン」の中にいた、といふことも大きく関係
しているかも(実はあたり語られていないところでもありますが、
ノベルズや雑誌が頭打ちになったジュブナイル関係の小説家が、後の
ミステリー分野を中心としたブームを引き起こす手前の時点で大量に
この「アニメージュ」で対談してた、といふ事実もある。具体的な
成果としては京極夏彦の定期連載と「ルーガルー」の出版、及び
アイデアの公募化、そして付随して行われた大森望等を巻き込んでの
宮部みゆきや小野不由美、綾辻行人らと対談をかましたりしていたのが
その頃の「アニメージュ」の位相の一つ)。水玉さんはフィギュアや
食玩を中心にイラスト化した「水玉総研」を連載するかたわら
「こだわり声優事典97」や「おたくのインターネット」等の表紙絵などを担当。
 もっともそれ以前はまた「週刊ファミ通」方面の人で「こんなもん
いかがっすかあ」等を出している人だけにもうそれはもうずぶずぶと
オタクにハマった家系の人なわけですが。
(あとは岩波ジュニア新書でも大昔に書いている。「就職戦線異状なし」の
杉本怜一と共に書いた「ナウなヤング」といふヤツが。図書館に残存
しているのは大体このあたりかな)

またその後に出た日本の『ちびくろサンボ』のトッパン版で
人形を使った「サンボ」のわりとまっとうな絵本を作ったのが
「ヤンボウ・ニンボウ・トンボウ」「ブーフーウー」の
飯沢匡(劇作家・小説家)、といふところも見逃せなかったりするわけで。 
で、この頃にも展開された「サンボ」論争でまともな言説を行っていたのも
飯沢氏だったようですし。その後の展開では1980年代に
森やすじ(日本アニメーションの名作劇場等における偉大な動物
アニメーターにしてキャラクターデザインやレイアウトの素晴らしい人)
が伊藤主計と共に『ちびくろサンボ』を書いていた版がある(1983年
発行で、舞台はインドにしてある講談社版)、といふあたりを
見てみたい気もしますが。まあもう少し『さよならサンボ』の方、
読み進めていこうかと思います。

torovさん

 おやおや、立派な「さんぼ・をたく」ですねー。結構深いですよ、この「ヲタ道」。今からでも遅くないですから、足を抜くことも考えてくださいね(^_^;
 で、そう、改作ドビアスの絵を、岡部さんに模倣させてたんです、岩波は。作品のオリジナリティーという考えはなかったようですね。
 近々紹介するつもりですけれど、光吉夏弥さんが「岩波の子どもの本」創刊の頃を顧みた文章があります。今の目で(価値観で)読むと唖然としますよ。

 水玉さんという方は、名前を見たことがある程度で、出自にも作品にも認識がありませんでした。ご教示ありがとうございます。
 ここは、娘が親の雪辱を果たすという美談を期待したいところですね。
 ただ、どうすれば「雪辱」になるのかが、、、老生にはよくわかりません(^_^;

またも、torovでございます。
(今回はこちらの後にコメント、といふことで)
文字通り、「図書館を漁るだけ」漁る、もとい検索
したらアッサリ出てきたので、『さよならサンボ』
読み始めてます。そうしたら、まあいろいろ出てくる
ものですねえ。
 マクミラン版のドビアスの挿し絵を元にした岩波版は
実は「ドビアスの絵に合わせて」もう一人の挿絵画家
(もとい漫画家)が関わっているもので、それはなんと
このほど亡くなられた濃いオタクファミリーの主として
知られた「きかんしゃやえもん」の岡部冬彦だったのだとか。
 まあそのあたりほとんど気づかれぬままに(似せて模倣され
かつ工夫された本が)出版された、といふ吃驚な経緯も
あるところが、この「ちびくろサンボ」の因果たる
因果な部分なのかなあ、とも思う。
 まあその点でいけば、今成すべき方向に『サンボ』を
持っていくには、『さよならサンボ』を踏まえた上で、
水玉蛍之丞がキャラクターデザインした『ちびくろサンボ』を
サンリオで出版する、といふくらいの努力が必要なのかも。
(水玉蛍之丞は、岡部冬彦の次女。フィギュアや食玩にも
精通したヲタなイラストレーターとして知られる。サンリオは
当時の問題の引き金を引いた「ワシントン・ポスト」が
はじめにとりあげた「サンボ」のキャラクターを取り扱って
いた張本人)

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: こらむで『ちびくろさんぼ』:

« 暗黙知としての図書館業務 | トップページ | 井上さんのコラムに »

2022年1月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

最近のトラックバック