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2020年1月 5日

南陵さんの「水木十五堂賞」受賞と資料の継承

 昨日のものですが、正月早々嬉しいニュース。

「水木十五堂賞」に四代目旭堂南陵さん - 産経ニュース

 南陵さんは「講談の速記本は芸能そのものがさげすまれていたため雲散霧消し、古書市で見かけなくなっていた。50年かけて収集した努力が報われた」と喜んでおられます。「芸に関しては多く受賞していますが、私自身の博士論文にスポットを当てていただいたことは無上の喜びです」 とも。
 落語の方では米朝さんもそうだったわけですが、途絶えかけている(あるいはほとんど途絶えてしまった)伝統を復活させるのには途轍もない汗をかかねばなりませんが、それは基本的に個人の努力に負っている。これも、ある意味仕方がないところではあります。ただ、そういう個人の営みを継続可能な取組にしていくことが次に求められます。
 図書館というのか、資料館というのか、文書館というのか、DA(Digital Archive)というのか知らないけれど、保存と継承を見据えた社会的な取組はとても大事です。

 1960年代から、日本の公共図書館が「貸出」というツールで市民との距離を縮めてきたのは、そういう展開を想定してのことだったと思っているのですけれどね、、、

 

2010年8月20日

Kenny Edwards 逝去

某SNSのKarla Bonoff コミュで知った、Karla の本日午後のtwitt。

Our good friend Kenny Edwards passed away this afternoon in Santa Barbara. Thank you for your thoughts, prayers and donations

 去年まで毎年3月頃にビルボードライブ大阪で Kenny Edwards と Nina Garber にサポートされた Karla Bonoffのステージを見ていた。2曲ほどやけど、Kenny と Nina のギターの掛け合いインスト・パートがあって楽しみにしていた。それが聴けなくなった。
 状況はよくわからない、なにやら旅先で入院して、重篤で、居住地に転送しなくては、、、と言っている間に亡くなったということのようだ。少し前に亡くなったRichieHayward と同じで、寿命というにはまだ20年早い。

 最近、Linda Ronstadt の紙ジャケ盤が数枚でたのをきっかけに、初めて Stone Poneys 時代の音源を聴いたところだった。60年代後半で、カントリーをルーツにしたフォーク/ロックの音ということでは斬新な印象を持った。と同時に、自分がレコード会社の人間なら、やはり「この、やったら歌がうまい(と言うか声量が豊かな)女の子をメインにして売り出そうじゃないか」と思うだろうなとも思った。というわけで70年代のLinda のライブ映像を見る時には、ほとんどバックばかり見ているような気がするんやけど、Kenny は当然そこにいる。
 Linda Ronstadt って、たしかにずば抜けて歌がうまいけど、それをサウンド的にサポートする方法ってのも同時に積み重ねられていて、70年代後半にソロ・デビューしたKarla Bonoff には、そのノウハウが注入されているな、と、車に常時登載の Karla の2ndアルバムを聞きながらつくづく思っていた。そしてその中心にいたのが、KennyEdwards だったわけだ。

 例によって、Wikiにはもう載っている。
>>Kenny Edwards (born February 10, 1946; died August 18, 2010)

 もう聞けない、Ninaとの掛け合いを思い出しながら
合掌(-人-)

2008年5月19日

レガシー・エディション

 PCの世界で「レガシー」(例:レガシー・デバイス)と言えば「古ー、よーそんなん使とるな>お前」の意であるが、 CDの世界では悪い意味ではないらしい。

キャロル・キング
つづれおり(レガシー・エディション)<完全生産限定盤>
http://www.towerrecords.co.jp/sitemap/CSfCardMain.jsp?GOODS_NO=1803154&GOODS_SORT_CD=101

 オリジナル収録曲全12曲の内11曲の未発表ライブでボーナス・ディスクが付くという趣向。ただその11曲の内10曲は、 「カーネギー・ホール・ライブ」と重なっているのが気になるところ。「ほんとに未発表ライブか?」と思うわけだが、これはつまり 「ほんまに未発表ヴァージョンばっかりやったら買わぬでもない」と思っているってわけで、既にして負けているのであるな(-_-;。
 以前に出たデジタル・リマスター版でも、ボーナス・トラック2曲で負けてしまったし、、、アナログ盤とあわせると、 同じアルバムを一体何枚買わせようというのだ?。。。。って、単純に、買わなきゃそれで済む話なんやけどね。

2008年4月 9日

『ちびくろ・さんぼ』が好きですか?

 好きだ好きだと言いながら、どうして著者をいじめるのだろうか?
 と思ってしまうのが、もうすぐ発売になる『ちびくろさんぼ 3』
http://www.zuiunsya.com/n-book.html

 この出版のニュースを聞いた時には唖然としてしまったのだけれど、ヘレン・バナマン Helen Bannerman* が描いた10冊の絵本の内、サンボという名の少年が出てくるのは2冊だけで、これは既に岩波版で翻訳・出版され、上記「3」の版元の瑞雲舎から『ちびくろ・さんぼ』『ちびくろ・さんぼ2』として復刻されてもいる。(ただし、岩波版『ちびくろ・さんぼ』はテキストはオリジナルだがイラストはアメリカで別人のものに差し替えられた異版。「2」は、テキストはオリジナルだが、イラストは前作のアメリカでの異版のイラストに似せて日本で作られた模倣版。)
 オリジナルのテキストとイラストの翻訳は、径書房からのみ出版。
http://www.komichi.co.jp/bd/4-7705-0173-0.html

* 慣習的には「ヘレン・バンナーマン」で流通しているのだけれど、老生としては気持ち悪いので「バナマン」か、せいぜい「バナーマン」としか書けない。

 で、「ちびくろ・さんぼ 3」なのだけれど、これの原作は、存在しない。版元のサイトも含めて、この本の書誌事項として現在ネット上で検索できる範囲では、「ヘレン・バンナーマン」の「原作」とあるもの、「原案」とあるもの、「ヘレン・バンナーマン」の表記が一切ないものの3種類があり、原作の存在しない作品を出版するこの企画の混乱ぶりを示している。

 因みに、既刊(既訳)の『サンボ』の原題は、"The Story of Little Black Sambo"(1899)、 "The Story of Sambo and the Twins"(1936)。
 バナマンの他の絵本作品の中では、肌が黒いキャラクターが出てくるものがあと4冊あるが、それぞれの主人公の内3人は女の子で、唯一の男の子の主人公の名前もサンボではない。発表順に挙げると、"The Story of Little Black Mingo"(1901)、"The Story of Little Black Quibba"(1902)、"The Story of Little Black Quasha"(1908)、"The Story of Little Black Bobtail"(1909)。
 話の内容としても、上記版元サイトの紹介記事にあるストーリーはこの4作品と重ならない。唯一、小道具として「本」が出てくるのが "The Story of Little Black Quasha" だが、ストーリー展開はまったく異なっているようだ。(「ようだ」としか書けないのは、「3」の全文をまだ見ていないからだけれども、オンラインで見ることができる簡単な紹介文の範囲でもまったく違う話だと思われる。)

 瑞雲舎が岩波版を復刻したことは、支持はしないけれども、それなりに理屈は立っていたとは思う。少なくとも、読者にとって納得がいかない形で軒並み絶版になり、読者から復刻が「待望」されていたという状況はあったのだから。けれども、「3」は一体誰が待望したのだろうか? 60年ほど前に亡くなった著者の存在しない作品を、なぜ、誰が、「待望」するのだろうか?
 著作権…と言っても、経済権の話ではなく人格権のお話として、随分と無惨な話だと思うほかない。

 バナマンというのはつくづく不運な著者だなと思わざるをえないのは、彼女の創作したキャラが、特にアメリカ合衆国では、彼女の描いたイラストとしてではなく異版・海賊版の絵柄で大量に流通したという部分においてなのだが、アメリカではまだオリジナル版も流通していた。一方日本では、上記の径書房版が出るまで、アメリカ産を中心とした異版・海賊版しかなかったし、むしろその海賊版をオリジナルとして好んできた。これだけでも、バナマンに対しては随分と失礼な話だと思うのだが、そこへ持ってきて、今度は存在しない続々編が日本で登場してこようとしている。しかも、イラストは従前の2作品と同じ、アメリカでの海賊版を模したものだ。これは一体どういう文化状況なのだろうか? この出版企画のどこに、著者への Respect を見いだせるのだろうか。

 この作品にとびつく読者がいるとすれば、彼/彼女はヘレン・バナマンが「好き」なのだろうか?
 この存在しなかった作品を出版する瑞雲舎は、ヘレン・バナマンが「好き」なのだろうか?
 老生には、彼らがバナマンをいじめているようにしか見えない。どうして、こんな侮辱行為を平気でできるのだろうか?

 バナマンが、その作品故に「差別」の汚名をうけたことについては、いくつもの「不運」はあるにしても、近代化・脱植民地化という状況の中を生きた社会的存在としては引き受けなければならない道理があったとも思うし、その意味では同情しない。 1972年の時点で、イギリスのジャネット・ヒルがバナマンの "The Story of Little Black ~"諸作品に対して、"They has no place in multi-racial society"**と述べたのは、極めて正しい評言だったと老生も思う。

** Janet Hill, "Oh! Please Mr, Tiger", The Times Literary Supplement, Nov. 3, 1972.

 これ↑は、人は、自分が述べたこと、書いたこと、行動したことと、その結果の一部について責任を負わねばならないと老生が考えるからだ。そして同様に、人は、自分が言わなかったこと、書かなかったこと、行動しなかったことについての責任を負わされてはならないのだ、とも考える。(「やるべきことをやらない責任」というのは、話がややこしくなるのでちょっと横へ置いておく) 自分のイラストではない多くの異版「さんぼ」について、ヘレン・バナマンは責任を負う必要がないのと同様に、テキストもキャラも自分のものではない作品に、自作の代表的なキャラの名前をつけられる理由はないのだ。

 「ちびくろ・さんぼ3」の出版が異様なのは、正・続編の復刻を待望する声に応えた出版社が(復刻自体はある種のリスクをとっている行為でもあり、非難するつもりはない。。。ただし、復刻の元版が海賊版であったという点では支持はしないし批判もするが)、原著者の人格権を大きく踏みにじってまで続々編を創出していることだ。正続編の復刻は、たとえ海賊版であっても「私たちは(多くの人が)これが好きなんです」という点で、まだ「出版の志」として成り立つ余地があった。だが「3」は、捏造でしかない。

 瑞雲舎ってのは、結局、ヘレン・バナマンとその作品を愛していたわけでもなく、ニッチな(他社が手を出すのをためらっている)分野にあえて手を出して儲けたかっただけだったのだね。。。もちろん、「金儲け主義」自体を批判しているわけではない。ただ著者へのRespectの欠如が、老生にはひどく無惨に思えるのだ。

 因みに、ヘレン・バナマンは、生年月日:1862年2月25日、没年月日:1946年10月13日。
 すみません、図書館員ですが、ウィキへリンクしときます。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%8A%E3%83%9E%E3%83%B3

2008年3月22日

橋下知事の図書館観

 諸施設の「ゼロベースでの見直し」を言いつつ図書館は残すという橋下大阪府知事の図書館政策について、 以前のエントリーで
>>「図書館だけは残す」その理由の由来次第では、なんだか変なことになりそうです。
http://igandou.txt-nifty.com/igandou/2008/02/post_8b24.html
 と記していたことのその後が見えて来始めました。橋下知事の図書館政策の中味はどうも貧弱です。

 20日に国際児童文学館を知事が視察して府立図書館との統合を示唆した記事、例えば

橋下知事、国際児童文学館を視察「図書館と統合を」(朝日 2008年03月20日20時31分)
http://www.asahi.com/national/update/0320/OSK200803200049.html

 が注目されているようですが、むしろ次の記事にあるように「府立女性総合センター(ドーンセンター) などの資料収集事業についても府立図書館に統合することを検討しており、6月をメドに結論を出す。」 というところも併せて注目すべきでしょう。つまり「とにかく施設の削減が不可欠であり、機能の違いはともかく、 本を扱うのは全部図書館ということでいいでしょ>というのが、橋下知事の図書館政策の落としどころであり中味だということのようです。

橋下知事、「府立図書館を集約」──児童文学館など対象(日経ネット関西版 2008/03/21配信)
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news003271.html

 大阪府立国際児童文学館というのは、老生も何度か利用してますけれど、あれは図書館と言うより、児童書の博物館・ 研究施設として出来ています。1Fが子どもが利用する閲覧室ですが、蔵書のほとんどは大人だけが利用出来る設定になってますので、 1Fの子どもの閲覧部分は、たとえて言えば教育大学が付属の小学校を持っているようなもので、 研究者が児童書についての子どもの反応などのデータを得たり、仮説を実験する場なのですよね。 建物もそういう前提で出来ているところですので、それを施設統合の必要から中味(機能)だけ他へ移せというのはかなり乱暴な話ですし、 実際問題として現在の府立図書館2館のどこに70万点の蔵書を箱詰め状態ではなくすぐに活用できる形で配置できるのかという話も出てきます。 ただこれは、必要なスペース(今後の増加部分も含めて)が手当され、専門図書館としての研究専門員の配置が従前通りにされるのなら、 財団をなくしてもその機能だけを保全することができるとも言えます。

 施設側の<図書館になると、児童書の寄贈が受けられない>という趣旨の発言は言葉足らず(*)で、 たしかに誤解を招きやすいものですけれど、ここが児童書の研究者の個人蔵書12万冊の寄贈を核にして立ち上がっており、 児童書の研究機関という位置づけで出版社との信頼関係を築き新刊児童書の寄贈も受けてきたし、 個人所有の稀覯書の寄贈も受けられてきたという経緯からすると、 文学館だから図書館だからと言う看板の話ではなく<理事者側の運営の姿勢に疑問が生じることで、 これまで受けられてきた寄贈も受けられなくなるだろう>という趣旨として理解できます。実際の話 「本だから図書館に集約でいいじゃないですか。どこが悪いんですか」と言われたら、これまで新刊を寄贈し続けてきた児童書専門の出版社も、 大阪府とは距離を置きたくなるんじゃないでしょうか。

* この「言葉足らず」の原因がご本人の言葉足らずなのか、 記者の聞き取り理解力不足なのか、デスクの整理の仕方によるものかはわからないんですけど。

 ドーンセンターの情報ライブラリー事業(図書館機能)については、この施設の女性の駆け込み寺(セーフティネット) 機能と連携することで成り立っているわけで、相談機能と連携しないのならその存在価値は著しく下がるでしょうし、 府立2館側としても蔵書内容としてはかなり重複しているものをあえて受け入れるメリットはないように思います。(え?  重複していないものだけ受け入れて後は廃棄すればいいって? まぁ事務処理としてはそうなんやけどね。 ドーンセンターにあるからこそ活用できている蔵書を重複チェックで「処理」するのって、単なるお役所仕事でしょう?)

 「本はとにかく図書館へ」ってのは、図書館からすると有り難いスローガンに思えるわけですが、上記の事例については、 どうも本を活かせない仕組み、本を通して人が活きない仕組みとなるように思えます。

 ドーンセンターについては、そのソフト(女性のセーフティネットとしての相談機能)は誰もが評価していると思うのですが (もちろんこういう施設があること自体に反感を持つグループもありますが)、ただ施設ができた時期がバブルのまっただ中だったせいか、 今は使われていない屋内プールとか、何ともバブリーな部分もある施設ではあります。ただソフトを残すということで言えば、情報ライブラリー (女性問題専門図書館)とセットで残すことでより効果が上がってきているでしょうし、 情報ライブラリーの相談機能との連携ということで言えば、情報ライブラリーの蔵書を府立2館に移してそこを案内しても、 実際には活用されないということになるでしょう。

 財政再建のために施設の統廃合は不可避であるとして、必要な機能をどう残すのかという点でみれば、本の使われ方(機能) を無視しての「本のことは図書館へ集約」は弊害が多いと言わざるを得ないですよね。

 

2008年2月23日

練馬の貸出履歴保存一件、回答書

 先の練馬区立図書館での貸出履歴保存の一件について、 図書館問題研究会から練馬区立図書館へあてた質問の回答書が図書館問題研究会のHPに掲載されていました。

練馬区立図書館貸出し履歴保存問題速報 2008年2月22日掲載
http://www.jca.apc.org/tomonken/

練馬区立図書館の貸出履歴システムに関する問い合わせについて(回答)
http://www.jca.apc.org/tomonken/nerima.html

 蔵書の切り取り問題に悩んだ挙げ句の措置だったのであろうと言うことは十分理解できるものの、<実効性はないだろうし、その一方で、 貸出履歴の流出の可能性を高めただけ>という業界人の観測を裏付けるような回答になっています。

Q:「汚破損が発覚した[場合?]、これから貴館ではどのような措置を採りますか。具体的にお答えください。」([ ] 内は引用者で補っています)
:「直前の利用者に対して貸出時の資料の状態と汚破損について確認し、 汚破損をしたと利用者が認めた場合、弁償手続きを行います。」

 この措置の実効性のポイントは、つまり「直前」を確定することにあるわけでして、 そのためには貸出と返却のたび毎に汚破損の状況を必ずチェックしておかないと「その本が汚破損状態で返却された直前の利用者」 を特定できないが、そんな作業は事実上できないというのが現実的なネックになっています。(逆に、 それができるほど暇な図書館なら汚破損もそれほど多くはない。)聞かれても「私が借りたときには既にページが切り取られてましたよ」 と言えばそれですんでしまいます。。。と書くと「おまえは市民を信用しないのか!」と言う人がいたりするんですが、ここ数年、 公共図書館の本の汚破損を扱った新聞記事が何度も出ていることを思えば、それが実態ですよというところから話を始めるよりないわけです。 最近もこんな記事↓がありましたしね。

本や雑誌はみんなの財産 北勢の図書館でページ切り取り多発
http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20080216/CK2008021602087821.html


Q:「警察等による貸出記録の閲覧・提出要求について」
A:「従来どおり、法に基づく請求でない限り、一切の情報を提供しません。」

 これは刑訴法に基づく「捜索差押許可状」(所謂「捜査令状」)や「捜査関係事項照会書」による請求を想定しているのでしょうが*、 履歴を保存していなければ提供しようもなかったところが提供できるようになっているわけですから、 やはり流出リスクを増やしているということになります。

*吉本 紀「照会書」や「令状」 に出会ったら(1)~(5) (こらむ図書館の自由)
http://www.jla.or.jp/jiyu/column01.html#199202
http://www.jla.or.jp/jiyu/column01.html#199203
http://www.jla.or.jp/jiyu/column01.html#199205
http://www.jla.or.jp/jiyu/column01.html#199209
http://www.jla.or.jp/jiyu/column01.html#199301

 この辺り、こうした「図書館の自由」 の原則に基づく発想を<古い><昔の基準を引きずっている>とする批判の論調がネットでは見られますが、「9・11」 以後のアメリカ合衆国で起こっている事態として現在的な問題なんですけどね。「WEB2.0」はそういう社会性・ 歴史性をどう媒介しているんでしょうか? ネット論議を見る限りではどうにも読み取れません。


 まぁそれにしても、、、なんとかならないですかねぇ、汚破損問題。
 どうせ本にICチップを仕込むんだったら、一葉毎に管理させて切り取られたら日付時間情報と共に記録する、 ついでにGPSとも連動させてどこで切り取られたかも記録する、ってのはどうでしょうかね? え? コスト? 新たな個人情報保護の問題が?  いや、そこは、それ、あれです。。。そもそも、こんなしょーもないことをする人が少なからずいる社会が悪いのである、と。

2008年2月11日

日経連載<変わる図書館>完結

 開始記事を書いてしまってたので、 完結記事も書いておかなくては。。。

 日本経済新聞で珍しく図書館をとりあげた連載が、先週末に完結していました。
 日経の短期連載コラムではいつものことですが、掲載日が必ずしも連日ではなく間隔もまちまちで(この連載では、 月火水月水月水金の順で掲載)、随分と戸惑わされますが、まぁ完結のときだけは明示してくれるのがせめてもの救いです。
 掲載日と表題は以下。

広角鋭角 第29 集 変わる図書館
(日本経済新聞 夕刊連載)
1.財政難でも理想追う/「民間任せ」見直す動きも 2008 年1 月21 日(月)
2.変わるビジネス支援/情報拠点 高まる存在感 2008 年1 月22 日(火)
3.郷土情報のデジタル化/参加型の歴史・文化事典 2008 年1 月23 日(水)
4.ネット情報を後世に/サイト収集・保存 課題山積 2008 年1 月28 日(月)
5.団塊世代に執筆指南/仕事の経験、地域に橋渡し 2008 年1 月30 日(水)
6.高齢者向けサービス/施設に出向き「思い出語り」 2008 年2 月4 日(月)
7.モラル低下に悩む/悪質な破損本 展示し訴え 2008 年2 月6 日(水)
8.委ねられる閲覧制限/「知る権利」「人権」に揺れる 2008 年2 月8 日(金)

 2~6が 『これからの図書館像』(文部科学省 平成18年3月)でも言及している具体的なサービスの形のレポートで、 残りが経営上の現在的課題というところですね。全8回という構成でのテーマの配分としてはまぁバランスのとれた形かと思えます。 正直なところで言えば、もう少し回数を増やして幅広くサービスのバリエーションを示して欲しかったところではありますが。

 日経がこういう特集を組んだ割には、ビジネス支援とかその周辺一辺倒になっていないのが面白いと思いました。ただ、 もう少しつっこんだ記述がほしかったような気もしてはいます。まぁ一般向け特集ならこんなところかとも思うのですが、例えば委託について、 同紙の博物館・美術館問題の一連の特集では、新たに受託に参入しようとした企業の<既にかなり経費を削った運営になっている。 これ以上の合理化は人件費しかない。再考が必要。>といった趣旨の証言も引き出していたわけですが、このシリーズでは、 そこまで踏み込んだ言及にはなっていません。また最終回の「図書館の自由」を扱った「委ねられる閲覧制限[の判断]」という視点も、 なぜ閲覧制限をしてはならないのか、というところの押さえを十分にせずに現象を追っているので、 なんだか緊張感のないぼやけた記述になってしまっていますよね。
 因みに、1回目の記事でICタグを使用している受託企業の発言で、 現状ではICタグを貸出処理や盗難防止などのレベルで運用しているとした後で「既存の利用法に加え、 別の新しい活用法もあるのではないかと模索している」とあるのは、 先月ネットで話題になった<○○を借りたあなたにお奨めの本はこれです>機能のことを言っているのでしょうけれど、 このあたりをもっと突っ込んだ記事にしてくれると丁度よかったのにと思いました。

学校司書16万5500円!

(一部修正して再アップ)

いくつものブログやMLで事前に紹介されていましたが、一昨日放送のTV番組で学校司書の仕事ぶりが紹介されていました。

あしたをつかめ平成若者仕事図鑑
No.151 学校司書 原田悠紀「本の魅力を伝えたい」

http://www.nhk.or.jp/shigoto/zukan/151/top_2.html
NHK教育 2008年2月9日22:00~22:25
再放送 2月14日(木)19:00~19:25

 学校司書として図書室に常駐する26歳の方の仕事ぶりが紹介されていました。読書案内・レファレンスに応える姿や、 ブックトークの試行錯誤の中で子どもを本と結びつける様子(「再現映像」っぽい演出ですが*)が生き生きと描かれていました。 授業との連携も描かれているとよかったなとは思いましたが、「子ども読書」が大きなキーワードになる時代ですから、 30分足らずの番組ではそこへ集中するという判断もありなのでしょう。

* 最近なんだかドキュメント番組の筈なのにどうも演出が強い手法が目立ちます。 と言うか、それが気になるのは年齢のせいでしょうか


 こうした学校司書さんの活躍ぶりについては各所で他の方が触れて下さるでしょうから、ここでは遠慮しておいて、ここでは「ああ、 やっぱり非正規なのね」というところで触れておきます。


 この番組は初めて見たのですが、最後に「この仕事」の紹介をするところがあって、どうやったらなれるかとか、 初任給はとかが紹介されているのですが、「収入の目安」というところで画面に大きく出されたのが、

16万5500円

という数字。「ああ、これは月給としてはうちの嘱託さんと似たような数字だな、やっぱり」と今更ながら暗くなりました。つまり、 岡山は学校司書配置で有名なところだけれど、でもやっぱり、この学校司書さんも嘱託扱いなんだ、と。
 で、「月給ベースで示されても、<収入の目安>にはなってないんですけど…」とも。
 つまり、正規か非正規かでボーナスの有無やあっても支給額の差が大きいので、年収ベースでは大きな格差が生まれます。 これは情報番組なんでしょうから、嘱託とか正規とか示しながら、年収ベースで「収入の目安」 を示してもらわないと情報としては不正確ということになりますよね。

 念のため岡山市のHPをチェックすると

市職員給与などの状況
http://www.city.okayama.okayama.jp/soumu/jinji/kyuyo-kouhyo/kyuuyo-kouhyou17.pdf

があり、そこでは

職員(一般行政職)の初任給の状況(平成17年4月現在)
大学卒(初任給)   178,600円
   (採用2年後) 204,800円

ということですので、紹介された学校司書さんは嘱託として雇用されているということでしょう。 ここに示されただけでも採用2年後の昇給はかなりありますが、嘱託さんなら昇給はないでしょうから、 紹介されていた26歳の方ならすでに月収ベースでも格差が大きくなっているでしょう。先に触れたボーナスの有無という格差もありますから、 正規と非正規の年収格差はかなり拡がるのが目に痛いところです。

 ところで、上記のこの番組HPでは不思議なことに「嘱託」という言及がありました。 なぜアナウンスや画面の文字がなかったのでしょうね?

◇収入のめやす
 岡山市の場合、165000円です。(嘱託職員の場合)
http://www.nhk.or.jp/shigoto/zukan/151/top_2.html
 ※ 放送された画面では、金額だけ「16万5500円」(上記と500円違いますが)で「嘱託職員の場合」という記載やアナウンスはなし)

 NHKさんも、「仕事図鑑」と銘打つのならやはり月収ベースじゃなくて年収ベースで表示しましょうよ。
 それから、「仕事」と言ってもいろいろあるわけですけど、基本的にフリーで請け負うことになる仕事なのか、雇われる形でする仕事なのか、 後者の場合、正規・非正規の関係では労働市場はどういう状況なの?ということも示して欲しいですよね。そうでないと、「あしたをつかめ」 と言われても「つかむあした」が見えてこないわけで。。。この番組を見て自分の進路を探る立場からすると、情報として不正確・ 不適切すぎますよね。

 

2008年2月10日

「図書館は知のセーフティネット」と橋下知事は言っているが

 2月4日に新しい大阪府知事の橋下徹さんが、<図書館以外の大阪府施設はすべて不要>という趣旨を述べていたものの、

 
「図書館以外は不要」橋下氏、大阪府施設の廃止・売却検討
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080205-OYT1T00081.htm
橋下新知事、「図書館以外は不要」 府有施設必要性検討
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200802050097.html

 なぜ、図書館だけは不要ではないのかという説明は、新聞記事や解説記事の中でも一切なく、大阪に限らず図書館関係者も「?」状態だったわけですが、2月8日の大阪ローカルのテレビ番組で、橋下さんが司会者からの「なぜ図書館だけは残すのか?」という質問に答える形で「[図書館は]知のセーフティネットだから当然残す」旨を述べていました。

かんさい特集「新知事・市長に問う 大阪の、これから」
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=200&date=2008-02-08&ch=21&eid=57674

 もっともそれ以上の言及はなく、具体的なイメージまではつかめませんでした。
 その場には前鳥取県知事の片山善博さんも同席していたのですが、片山さんほどには明確な図書館像を示したわけでもないので、単なる印象レベルの認識であるのかもしれません。

 この件に限らず大きなアドバルーンを上げるのは、橋下さん流の交渉術であるようです。今後の赤字垂れ流しを回避する意味で非効率・非主流施設の売却はオーソドックスな経営再建策の第一歩でしょうけれど、「廃止・売却」の検討対象となっているドーンセンターも「セーフティネット」だと思うんですけどね。この辺の切り分けがよくわかりません。「図書館だけは残す」その理由の由来次第では、なんだか変なことになりそうです。

(追記)
この番組の該当の部分がYouTubeにアップされていました。

橋下知事よく言った2/6『NHK激闘篇』
http://jp.youtube.com/watch?v=6aJURSVKM3A&feature=related
(※ この表題で「2/6」とあるのは「2月6日」ではなく、6分割の内の2番目という意味ですよ(^_^;)

2008年1月21日

中山照隆さんのBM活動紹介記事

 このブログへのアクセス・ログを辿っている内に、 先の鳥取市のBM事故で亡くなった中山照隆さんが鳥取市の広報に執筆したBM活動の報告(エッセイ)に行き当たりました。

 感傷で接するのは中山さんに対してかえって失礼だと思いますが、図書館職員の活動事実のひとつとして記録しておきます。中山さんは 「司書さん」ではなく「運転手さん」だったようですが、人と資料を結びつける活動において司書と同じ働き・ 思いをもって仕事に取り組んでおられたのだなと思えます。

「町へ村へ移動図書館車が走る! Vol.3 「やまなみ号」の巻
「本を通したふれあいを大切に」
用瀬図書館 中山照隆
(「とっとり市報」平成18年9月15日号)
(PDF版)
http://www.city.tottori.tottori.jp/www/contents/1157937818015/activesqr/common/other/46a69e09019.pdf
(HTML版)
http://www.city.tottori.tottori.jp/www/contents/1158055488515/html/common/46aebcfb014.htm#5059

«日経で図書館関連連載開始

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